私の子供時代を一言で表すなら、それは「汚部屋という名の監獄」での服役生活でした。毒親であった父は、外では立派な社会人を演じていましたが、家の中では一切の掃除を禁じ、自分が拾ってきたガラクタを居間に敷き詰め、家族がそれらを傷つけることを許しませんでした。床が見えるのはトイレまでの細い獣道のようなスペースだけで、食事は常にゴミの山の上で、コンビニの弁当を食べる毎日でした。父にとって、家の中を汚く保つことは、家族全員が自分の管理下にあり、誰も自分の所有物に触れられないという万能感を確認するための儀式だったようです。私が掃除をしたいと言うと、父は「お前は俺の人生を否定するのか」と激昂し、数時間にわたって私を正座させて説教を続けました。こうした毒親の元で育つと、清潔さという概念自体が恐怖と結びつきます。掃除をすることは悪いこと、親を裏切ることだという異常な倫理観が刷り込まれ、私は次第にゴミの中にいることに安らぎさえ感じるようになりました。それは、感覚が麻痺してしまったことの表れであり、魂が汚部屋という環境に適応してしまったという悲劇でした。学校の健康診断で衣服の汚れを指摘されるのが怖くて、私は冬でも冷たい水で隠れて洗濯をしていました。毒親は、子供が恥をかくことなど一顧だにせず、自分の収集欲と支配欲を満たすことだけに執着しました。監獄での生活は、私が18歳で寮のある職場に就職するまで続きました。初めて自分の部屋を持ち、真っ白な床に掃除機をかけたとき、私は声を上げて泣きました。それは、父という名の看守から、そして汚部屋という名の物理的な監獄から、ようやく釈放された喜びの涙でした。現在、私は毒親である父とは一切の連絡を絶っています。ゴミ屋敷の記憶は、今でも私の夢の中に現れますが、私はもう、あの狭くて暗い場所には戻りません。毒親が作ったゴミの山を乗り越え、自分自身の力で掴み取った自由な空間こそが、私の再生の象徴です。汚部屋で育った日々は、私の心に深い傷を残しましたが、同時に「清潔な生活が人間の尊厳を守る」という、シンプルで最も大切な真実を私に教えてくれました。私はこれからも、自分の部屋を美しく保ち続けることで、あの監獄のような日々に終止符を打ち続けたいと思います。
汚部屋という名の監獄で毒親に育てられた日々